雨にたたられたり不意の来客があったりして、予定していた釣行が叶わなくなった。読者に笑われそうな遅すぎる初釣りと、ニューロッドの試用を楽しみにしていたが、これも仕方がない。時間が空いたので、このところ気がかりな水辺の環境について一文を書いてみることにした。環境といえば学術的な響きがあり好きではないが、釣り人にとって水辺は長い時間を過ごす生活空間でもある。僕のように人生を折り返した者には、自分自身でいられる時間は本当に貴重だ。日々を悔いなく過ごしたいと願っている人間にとって、豊かな木々の緑や水辺ほど有り難いものはない。
喧噪・貧困・悪臭の時代
環境への関心の高まりで、昨今は海の汚染問題も取り上げられている。しかし思い浮かべてみると、小さかった頃見た都会の海はいまより汚かった。戦争に負けた日本がようやく3等国からはい上がろうとしていた時代だ。僕が育った街は下町だったから、喧噪と貧困、悪臭が渦巻くいまの東南アジアの場末そのままの風景だった。それでも子供達はいつの時代でも元気だ。子供の足で1時間近くかかる海岸まで歩いて行くと、河口でサヨリを捕ったりして遊んでいる年長の子供達の姿がいつでも見られた。川は住民公認のゴミ捨て場だったから、まぁ海の上にはおよそ何でも浮かんでいたものだ。スイカなどは当たり前で、犬猫は云うに及ばず豚が浮かんでいることも珍しくなかった。
それでもいま思えば不思議だったのは、波止でも水の透明度がずいぶん高かったことだ。ちりめんじゃこを干した御影の浜で、さざめく水底にカレイを見つけた記憶が鮮明に残っている。神戸のような世界的貿易港ですら、潮風には潮の匂いが嗅ぎ取れた。見た目には汚れていても、海の本質は残っていたのだ。
経済の時代
東京オリンピックを迎える少し前ぐらいから、街の風景が変わりだした。どんどんビルが建ち、高速道路ができ始めた。投げ釣りがブームになった頃で、いまの子供達と同じように、竿を担いで須磨の海岸に通った。油でだんだん海が汚れ始めていたが、まだキスやカレイは釣れた。しかし市内の運河には工場廃液が流れ込み、メタンの臭いが始終立ちこめていた。いわゆる公害の時代が始まっていたのだ。神戸港で釣れた魚など、油臭くて誰も食べなかった。働きだした時分はけっこう釣り場に通った。出来たばかりの須磨の海釣り公園も小規模でいまのように地続きでなかったから、漁師さんの漁船で渡って釣ったのがいい想い出だ。
釣り場は昔も今も変わらない。やはり嫌われ者のフグは干からびて転がっていたし、仕掛けは放置されたまま、海鳥の被害はいまに始まったことではない。釣り人はいつの時代も行儀が悪い(笑) しかしゴミの量そのものは圧倒的に少なかった。マイカーがやっと身近になってきた頃だったから、いま思えばまだまだ生活は質素で、釣り人ならば使った仕掛けは無駄にせず持ち帰るのが、当たり前の時代だった。海の生態がいまとは違っていたのだろう、チヌやセイゴはいまほど濃くなかった。チヌ釣りをすると云えば、それだけで名人のように思われたし、スズキを連日釣るなど夢のまた夢だった。
使い捨ての時代
長らく中断していた釣りを再開して、まず驚いたのは釣り具の進歩より釣り場の汚さだった。都会の海そのものは過去の反省から規制が厳しくなり、油などが浮いているという光景は見られなくなったが、目に余るのは釣り人が残すゴミである。神戸はまだましで、西宮浜などは惨憺たる有様である。田舎へ行っても事情は同じこと、釣り人のみならずアウトドアブームで都会人が来襲するから、潮に洗われない海岸線ではゴミが溜まる一方だ。中でも目に付くのは空き缶の多さ、世界的にも異常なくらい日本人は缶飲料が好きらしい。おまけに昨今はアルミ缶、強力なメッキと塗装で、潮風に2,3年も当たれば塵に帰ってしまった昔の缶製品とは比較にならないぐらい強靱だから、始末に負えない。ビニール袋の量も凄い。海亀が海草と間違えて食べるため、死ぬ例が後を絶たないらしい。なんとも哀れだ。弁当箱、電池、仕掛けも散乱している。
都会の粗ゴミ捨て場で、想像を絶する捨て物を見ているから大抵のことには驚かないが、それでも無神経に放置して帰る人間の多さに、腹が立つより悲しくなってしまった。環境云々という意識以前に、生まれたときから物に囲まれ、パッケージを破って捨てる暮らしをしてきた人達には、捨てると云うことに抵抗が少ないのかも知れない。都市の使い捨て文化が水辺にも蔓延したのだろう。衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、これでは衣食足りたらどんどこ捨てましょうだ。子供時代の海が美しかったとは云わないが、少なくとも生ゴミ以外の物は少なくて、塵に帰るもの、つまり海の浄化作用の許容範囲だったような気がする。
人は学ぶ
ゴミに限らず、環境を破壊していく人類の未来に不安を覚えない楽観的な人間は、もはや一人もいないだろう。水辺だけをとりあげても、都市海岸部の重金属ヘドロ、有明海や長良川の堰問題、琵琶湖を始めとする外来種問題、下水放流による富養化現象、磯焼け、大量の流砂問題、環境ホルモンの種への影響、沿岸漁業の危機的状況など、数え上げればきりがない。生活を今日豊かにしてくれたのは先人達の努力の賜物であるが、同時にその負債を私たちが抱え込むことになった。しかし、何年かかろうと精算する覚悟がないと、次の世代の未来はないだろう。
真の豊かさという言葉は、貯金が増え生活が利便になるだけではないということを、もう私たちは充分に学んだはずだ。例えば、近年漁網の網の目が随分大きくなったらしい。小さい魚を充分逃がしてやれる網目になったという。人は学ぶ。声高に叫ばなくても一人一人が危機的状況を認識し、小さな良心を痛めるだけでも、この国はよくなる。よくなるはずだと信じたい。
日本人は親水民族
昔読んだ本で、なるほどと思ったことがある。日本という国は国土こそ小さいが、海岸線が複雑に入り組んでおり、有効利用できる海岸の総延長の長さがずばぬけているらしい。海運だと大量輸送コストが安いので、各種の産業が海岸線に沿って発展し、それがひいては国際的な商業競争力につながっていったという趣旨だった。日本列島は黒潮が突き当たる世界でも有数の漁場だ。複雑な海岸線は天然の良港を生み出すから必然的に沿岸漁業が発展し、豊かで多様な生物相と勤勉な国民性は、世界屈指の漁法を生み出した。確かにどんな小さな臨海都市でも、その行政規模に似合わない近代的な港湾や立派な漁港が整備されている。
マリンレジャーこそ欧米ほど盛んではないが、海辺の人にとっては海は昔から生活空間そのものだったし、国民に占める釣り人口の多さは半端ではない。魚を食す文化は多種多様、芸術的領域といえるものもある。世界を植民地化した欧州人のような海洋民族ではなかったかも知れないが、我々は万葉の時代から海に親しみ、海と共生してきた親水民族だったのだ。
釣り人は水辺の番人
…という言葉があるらしい。知らなかったが言い得て妙な言葉だ。釣り人ほど四季の水辺の変化、生態の変化に敏感な人種はいないだろう。「水は地球の命ですぅ」というCMがあったが、確かに水は生命の根元だ。その水を誰にもまして、関心を持って接しているのは我々釣り人だ。良識のある釣り人ならば、遅かれ早かれナチュラリストになるのは必然で、環境に関する新聞記事の見出しには心が乱されるはず。たまたま僕はささやかながら、情報発信できる立場にあるから、こうやってコラムを書いたり、沿岸掃除隊などと冗談めいたキャンペーンを催しているが、読者の皆さんもそれぞれの立場で、ぜひ水辺の番人を務めて欲しい。
もしあなたが学校の先生ならば、一人でも多くの子供達に自然と共生するという心を伝えて欲しいし、建築家なら自然と共生できる住まい作りを考えて欲しい。企業家なら採算の範囲でいいから精一杯エコを追究して欲しい。もうお上に任せておけばいい時代は終わった。モラルのない政治家と、ビジョンのない官僚に一体何が期待できるのか。21世紀はインターネットで市民が意識を共有でき、社会的発言に参加していける人類史上始めての時代だ。日本人はシャイだが、発言をする人達も増えてきている。釣りというかけがえのない遊びをいつまでも伝えるために、ぜひいまの現状を見つめ直して欲しい。
潮の匂いがしない水辺を、誰もが不思議に思わなくなってきている。最後に福岡の読者さんの言葉を引用する。
「私はまだ若い、子供もいない。でもいつの日か孫を自転車に乗せて、あの宝の海有明海へ、竹竿を持って釣りに出かけたい」