笑魚のB級コラム

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釣り師の一分

巷では「武士の一分」という映画が流行っているらしい。主演キムタク、監督山田洋次、原作藤沢周平ということなので、まぁ興行収入に間違いはないはず。地味な短編を脚本にした映画だが、どこか若い人達に訴えかけるものがあるに違いない。観ていないし観る予定もないので寸評は差し控えるが、タイトルに武士の一分(いちぶん)とルピをふっているのには、苦笑してしまった。「ぶしのいっぷん」と読む奴がいたら困る!と松竹の広報部が考えたのだろうが、情けない時代になったものだ(爆) いずれにせよ、こんなヒット映画はネタの足しにするに限る!と、このところネタ切れの管理人もコラムを書いてみることにした。

一分ってなんなのよ…

一分という意味にはいくつかあるけれど(いっぷんではない!)、普通はその人の面目、面子を指すことに使われる。つまり「武士の一分」とは武士の面子あるいは名誉、体面と置き換えてもよい。映画では恋女房の密通相手に、目の見えないキムタクが、おのが面子を立てるため果たし合いを挑む。目が見えないのだから殺される確率は非常に高いし、よしんば勝っても切腹は必然、いずれにせよ死を懸けた決断である。では「釣り師の一分」とはなんだろう。

これを論じる前に釣り師という言葉を定義しなくてはいけない。そもそも「師」とは師匠、指導者を表す言葉だし、接尾詞として使う場合は、医師のように、その道の専門家を表す言葉である。専門家と云うからにはProfessionalである。まかり間違っても、週一回波止で竿を出す暇人を釣り師と呼んではいけない(爆)

つまり「釣り師の一分」という言葉を現代的に意訳すれば、釣りの専門家の面目、名誉という言葉になる。いわゆるトーナメンターに当てはまる言葉かも知れない。勝てばフラッシュを浴びせられ活字にもなり、取り巻きから「名人!師匠!」と呼ばれるが、負ければ、臥薪嘗胆、次回の大会まで毎夜枕を濡らすはめという具合だ。栄誉と汚辱は紙一重である。もちろん競いごとが嫌いで、山に隠遁する人もいるだろう。面目はその人のライフスタイルであり生き様である。

よき社会人が釣り師になれるはずもなく

所詮釣りだから、一般人がカンカンになるのも考え物だが、本当に好きなことなら、釣りと心中という気持ちになる人も結構多いことだろう。しかし人間とことん面子を通す、面目を立てると云うことは、多くの障害を乗り越えるだけでなく、捨て去る勇気も必要と云うことだ。大体どんな道でも専門家になるというのは大変だ。最近は仕事より家庭優先の人が多いので、仕事の専門家か、家事の専門家が分からない男性が増えている。悪いとは思わないが、この二つに加えて釣りの専門家になるのは、時間、費用、才能の面でも難しいだろう。

月に一冊本を読んで、週一回掲示板に質問して、週一回釣りに行く程度で、もし専門家になれたら天才だ。いくら周りの暇人より釣れるようになっても、それは、自分の仕事、家庭を犠牲にしない趣味の領域であるからアマチュアである。普通ならそれで充分、それがその人の釣りである。

医師と釣り師は違うだろうなどと考えてはいけない。よく考えて欲しい。一流大学の一流医学部に入ろうと持ったら、どれだけ勉強しなくてはいけないのか。保育所から高校卒業までの約14年間、ひらすら勉学と競争の日々である。医学部に入ったからといって油断はできない。国家試験の難関を通り、長い長いインターン修行を経て、学閥を泳ぎ渡り、大病院での出世競争、あるいは医院経営の手腕磨き、医療過誤対策まで、それはそれは長い自己研鑽の日々が続くのだ。果たして普通の人間にできる所行ではなく、同じ師が付いても、釣り師など医師の風上にも置けない。

それはさておき、世の中には偏執狂、いわゆるmonomaniaとよばれる人種がいる。かくいう管理人も病院の世話になったことこそないが、その予備軍である。こういう人種は一つのことに異常に執着を持つ。病が進むと常軌を逸することも度々となる。こんな人が釣りを始めてハマると凄いことになる。いわゆる社会人としての常識など、忘れてしまい、普段の生活からどんどん逸れて大変なことになる。早い話が物狂いで、一分を立てたい釣り師の一番候補とも云える。

釣りこそものぐるほしけれ

「釣りバカ日誌」という映画がある。管理人に言わせれば、あれは釣り馬鹿ではなく、ただの釣り好きだ。天気なら釣り場、雨が降ったら釣具屋、夜中はネットという、ごくまっとうな、そこらにゴロゴロいるただの釣り好きと同じである。釣り馬鹿という定冠詞が付くには10年早い。原作者は釣りの闇の部分を知らない人なのだろう(爆) ハマちゃんはよき社会人、よき家庭人であって、その趣味に一点の曇りもない。本物の釣り馬鹿は、釣り狂いでなければいけない。ダークサイドがあってしかるべきなのだ。そしてそれでようやく釣り師と呼べるのだ。ちょっと実例を上げてみよう。

ある上物師Aさんとの会話

「須磨の一文字?あぁ、あそこはグレが釣れるね」
「ほぉ〜知ってはるんですか」
「いったことあるよ、ずいぶん昔やけど〜」
「へぇ〜波止釣りなんかするんでっか?」
「わしはグレが釣れたら、磯も波止も船も関係なし、どこでも行くのよ」
「へぇ〜変わってはりますね」
「うん、函館の波止からトカラ列島まで、およそ全国グレの釣れるところで、行ってない処はないでぇ♪」

う〜ん、さらっと云うところが凄い。お見それしました。 見た目は貧乏くさい親父やのに… 正真正銘のグレ釣り師や。

ある上物師師Bさんとの会話

「H君はチヌ釣りが専門やねんてなぁ〜」
「そうですね、瀬戸内に大きいグレはいてませんよってに」
「ようけ釣るんかいな」
「まぁ、あまり坊主はありませんけど…」
「わしはチヌ釣り下手やねん、初めて釣るのに3年かかったわ」
「へぇ〜、滅多にやらんからでしょう」
「いや、毎週毎週通たんやけど、あかなんだ。才能ないんかなぁ」

この人は70オーバーの巨ぐれレコードを持つ大物専門釣り師。釣りは深いのぉ。

ある渡船屋Cさんとの会話

「Hさん、釣りはメバルやで!」
「あはは…面白いですね…」
「チヌは誰にでも釣れる、メバルはそうはいかん!」
「あはは…そ、う、で、す、ね…」
「素人が一匹釣るときに、10匹釣る、これが玄人や!」
「あはは… そ、う、で、し、よ、う、ね…」
「わしはあんまり釣りばっかりやっとったから…」
「…」
「会社勤めができんようになってもた」
「…」
「まっ、それでしゃあないから船買うて渡船屋始めたんよ」
「うぅ〜ん」
「渡船屋始めたら、忙しゅうて釣りする閑がのうなってなぁ、辛いわ…」
「…」

お見それしました。これまた立派な釣り馬鹿じゃ。

餌屋Dさんとの会話

「Hさん、あんたにだけ秘密のポイント教えたる!」
「ほぉ〜♪」
「○○の裏手知っとるか?」
「あぁ、あそこ立ち入り禁止でしょ、金網張っとるし…」
「ふふふ、脚立よ脚立!」
「はぁ?」
「あのなぁ、2mちょいの脚立持っていくんよ」
「ひぇ〜あぶなぁ(というか、そりゃ釣りとちゃうで)」
「金網越しに竿出すとポイントに届くから、ポイント独り占め」
「いやぁ〜なんとまぁ(信じられんわ!)」
「釣れる!釣れる!先週も行ったけどクーラー満タン♪」
「…」
「脚立貸したろか?」
「あはぁ…」

この人も釣り好き高じて餌屋を始めたという。みんな病気や。

TEAM1000会長Tさんの所行

坊主でも通い詰めれば海の様子が分かるようになるとHPに書いたら、Tさんは通い詰め、ついに50回坊主を繰り返したという。偉いものでそれだけ通えば、なんとなく潮や時合い、つまり海の顔が分かるようになったらしい。サンマの頭も信心から、継続は力なり。釣りあるいは海のハウツーはコンビニでは買えない。管理人も「グレを訪ねて2500km!10回連続坊主の旅」というのがあるが、器用で目先を勘定できる人間よりは、頑固一徹(というか頑迷固陋)になれる馬鹿の方が、はるかに面白い。

見事一分を立てたと云ってもおかしくないが…やっぱり病気や。

釣り師の一分五ヶ条

  1. 了見の狭いこと
    いわく、おかっぱりこそが釣りよ、船頭に釣らしてもらうのは釣りではない(船でも上手下手は存在すると云うことは勿論云わない)とか、太ハリスで釣るのは下手の証拠とか、コマセは邪道とか、外国なら釣れて当たり前とか、できるだけ了見を狭く、かつ排他的にならなければいけない。
  2. 家族を顧みないこと
    子を育てるのは母親の努め、父母の面倒を見るのは妻の努め、親を助けるのは子の努め、男子厨房に入るべからず。すべからく旧き日本の伝統と風習を守り、家庭には一切口を出さないこと。
  3. メーカーの提灯を持つこと
    およそ何事にも市場経済には、カテゴリーごとに巨頭とそのライバルが存在する。DoCoMo対AU、Microsoft対Apple、Nikon対Canon、Benz対BMW、Sony対Nationalなど、列挙にいとまがない。いやしくもユーザーならば、関ヶ原を前にした諸侯のように、旗印を鮮明にし、提灯を持たなくてはいけない。シマノか、ダイワか、はたまたガマカツか、贔屓の引き倒しこそユーザーの務めである。もちろん管理人のように「謀反変心はざらよ♪」という自民党スタイルもあるが、皆に嫌われることを覚悟しなければいけない。
  4. 先取りの精神と伝統を尊ぶ精神を両立させること
    これは読んで字のごとくである。例えばソナー付き電動リールに名匠和竿の組合せを尊ぶなどは最高である。あるいはローテク手作り鯖皮サビキと、バイオコマセという組合せも捨てがたい。人が顧みない工夫こそが名人への道である。
  5. 釣り師なら頑迷固陋な主となれ
    地元の波止や遊漁船ならば、どこでも主(ぬし)と云われるジジイが居て、その爺さんがたまたま居ない時に、その釣り座に座ろうとすると、隣の釣り人が「あぁ、そこ○○さんの席やからあかんよ!」などと注意されるものである。ここまでくれば本物である。釣り師の鑑といっていい。計り知れない(というかよく分からない)実力を持っているはずだ(と思う…)。

皆さんも立派な!釣り師の一分を立てるよう、日々研鑽してくだされ(^^)b