沿岸掃除隊

沿岸掃除隊

読者のコラム

読者のみなさんが、ふるさとの水辺にかける想いを綴ってくれました。寄稿者はsyakeさん、ねこまたぎさん、どびんちゃん、省吾さんの4人です。以下原文のまま。

有明海と私の夢 syake

私事ではあるが、私は福岡県の有明海沿いに生まれ育った。文中には有明海特有の魚介類の名が出てくるので、興味のある方はネットで調べて欲しい。

釣りといえば、船着場の桟橋から自家製の竹竿で、よくハゼを釣っていた。友達と青竹を小刀で切りに行き、枝を削ぎ落として乾燥させる、竿の出来上がりだ。餌は干潟に入り、大きな岩を転がせばゴカイが湧いて出る。または、冷蔵庫の中からアサリやアゲマキをくすねて切り身にする。もちろんハゼは大漁、場所によってはセイゴ・グチ・ワラスボやウナギも釣れる。小遣いが欲しければ、スコップとみかん袋をもって、アサリやシジミを取りに行き、市場へ持って行く。親父とは、ウミタケを掘りに行き、お袋が粕漬けにしてよく食べさせてくれた。周りではムツゴロウのムツかけが盛んだった。そう、まさに有明海は私にとって宝の海だった。

しかし、最近はムツかけはもちろん、アサリやシジミを取る人も全く見かけなくなった。たまにスズキを狙った釣り人を見かけるぐらいだ。年々有明海の漁獲量は減り続けている、なかでも減少率の高いのは貝類とカニ類、貝類の中でもアサリとタイラギは特に深刻みたいだ。そう言えば子供の頃よく見たシオマネキもさっぱり見かけなくなったし、海苔の不況も全国的に有名だ。

なぜ魚や貝を採る人がいなくなったのか?そう、皆さんもご存知のように「有明海諫早湾干拓事業問題」だ!と、言いたいところだが、私は決してそれだけが問題だとは思わない。確かに潮受け堤防の工事が始まった90年から後、漁獲量は急激に減少し続けている、97年の堤防閉め切り後から始まった海苔生産の減少と出来の悪さ。だが、私の実家周辺の海は、油混じりのヘドロの様な干潟とゴミの山。中でも一番驚いたのは、軽自動車と重機が海に投棄されていたのだ。

漁規模の話になれば、干拓事業がどうだと言う話は出来るのだろうが、もっとその地域地域で会社や個人レベルで海を守って欲しいと思うものである。

こういう風に考えてみた。最近になって、オゾン層を破壊する空調機の冷媒「フロンガス」の問題がある。各メーカーは塩素原子の無い新冷媒を開発している。これを使えば!省エネ・パムだから!これではNGだ、情けない、自然破壊大魔王だ。一番の解決策は「人間が我慢する」これだ、暑いの寒いの言っている場合ではない。海にだって同じ事が言えるだろう、人間の欲や何かを犠牲にしてでも我慢して行かなければ、美しい海は守れないと思っている。

私はまだ若い、子供もいない。でもいつの日か孫を自転車に乗せて、あの宝の海有明海へ、竹竿を持って釣りに出かけたい。

2002/04/13

有明海に棲む生き物達の写真などがあります〜訪れてみてね♪
有明海この不思議な海そしていのちの海
(佐賀県鹿島市HP内)

故郷の川の思い出 ねこまたぎ

物心がつくかつかないかといった頃、家にはまだ囲炉裏があったような記憶がある。電話も村に一本引かれていただけで、店もなく、自動車を所有している家など一軒もなかった。小川が一本、村の中心を流れているだけの山に囲まれた、とある村落で私は生まれた。初めて釣り竿を持ったのは小学校3年生か4年生の頃だったと思う。

釣り竿といってもそんな村のこと、山から竹を切ってきて乾燥しただけのものである。糸と鈎は近所のおじさんにもらい、ウキは麦わらかマッチの軸をくくりつけ、オモリは歯磨き粉の鉛のチューブを切ったものなどで代用していたのだが、そんな仕掛けでもカワムツやオイカワなどがよく釣れた。その川にはカワムツ(キモツ)、オイカワ(ハエ、婚姻色のあらわれたオスはアカジンと言った)、ムギツク(クチボソ)、ウナギ、ドジョウ、ヨシノボリ(チッチコ)をはじめ、今では貴重な魚となったカジカ(ヌス)、オヤニラミ(ミッコサン)やカジカガエルなども住んでいた。※カッコ内は私の故郷での呼び名。

ホタルなど川べりに行けばわんさか飛び交っており、夜ホタルを捕まえて釣り鈎に付け、川に浮かせて流す。するとホタルの光がふっと消え、アワセると魚が掛かる、餌と電気ウキ兼用の今では怒られそうな釣りもやった。また、川に入って石垣の穴や、川底の石の隙間に手を突っ込んで中に隠れている魚を手づかみするといった魚取りもよくやった。川の上流から順番に魚を捕りながら下流まで行き、また上流に帰ってくるということを飽きもせずほとんど毎日のようにやっていた。魚が隠れている石の場所から穴の形まで、すべての石を覚えていた。

そんなことをしながら中学までずっと川で遊んでいたのだが、そのころ川の上流に養鶏所とゴルフ場ができた。川は見た目には変わらないのだが、川での水泳が禁止されたり、ホタルやカジカやオヤニラミがだんだんいなくなったことで川が汚れてきてるんだなということがわかった。石垣もどんどんコンクリートブロックに取って代わって魚が身を隠す場所が少なくなってきていた。川底をコンクリートで固め、石垣のすべてがコンクリートブロックになって魚が住めなくなった川を見たことがある。子供心にも今まで遊んできた友達のような川がそのような生き物が住めなくなる川になってしまうのではないかと、とても悲しく感じたことを覚えている。

さすがに高校生ともなると近所の人の目もあって川に入って遊ぶことはしなくなり、たまに釣りをするだけになった。そして神戸で就職が決まり、田舎に帰るのは年に3、4回程度となったのだが、今でも田舎に帰ると必ずその川で釣りを楽しんでいる。ゴルフ場の農薬が環境に悪影響を及ぼしていることが取りざたされ、田舎の川でもそれが問題になったのか、水質が改善されたらしく十年ほど前からホタルがまた復活した。そしていなくなったはずのカジカやオヤニラミまで復活していた。きっと人の目に触れないほど少なくなりながらもずっと生きていてくれたのだ。

今、私が子供だった頃と比べれば数は少ないが、ホタルやカジカ、オヤニラミなど日本で数少なくなった生物たちがまだ暮らしている自分の故郷の小さな川をとっても誇らしく思っている。私には子供が二人おり、毎年田舎へホタルを見に帰るのを楽しみにしているのだが、この子たちが大人になり、子供ができたとき、一緒にこの川でホタルを見たり、魚を捕ったりして遊べることを楽しみにしている。  

2002/08/10

新舞子の海に思うこと  どびんちゃん

知多半島の根元に、新舞子というところがあります。私は名古屋に住んでおり、距離的に手頃ということもあって、その新舞子によく出掛けます。混雑する名古屋市内を抜け知多産業道路にはいり、日本有数の工業地帯の中を15分程走ると、やがて道路が大きくループし、右手に新舞子の海が見えてきます。

今から20年程前のことですが、その頃私の車にはまだ竿は積まれておらず、かわりに屋根の上にウィンドサーフィンのボードが。まだ独り身で、毎週末にはボード片手(片屋根?)にそそくさと街を脱出。途中で工場の煙突を見やり煙が真横に流れていると、「おお、いい風!」と、ご機嫌でアクセルを踏み込んでいたものです(釣りを始めた今は、逆に風は大敵となりましたが・・・)。丁度ウインドサーフィンがちょっとしたブームだった頃で、新舞子の海には色とりどりのセールの花が咲き乱れていました。

結婚をして子供が出来ると、次第にウインドサーフィンから疎遠になってしましましたが、私たちが慣れ親しんでいた新舞子の海、実は10年程前に埋め立てられ、今では新舞子マリンパークという人工島ができています。広大な緑地や人工ビーチを完備し、周りでは釣りも出来るというなかなかの施設なのですが、この埋め立て地、実は名古屋市内の産業廃棄物(ゴミ)の最終処分場で、言ってしまえばゴミで埋め立てた島です。

埋め立て工事が始まった頃、女房のtokotokoと海を眺めながら、「さびしいね」なんて感傷に耽りながら、同時に、自分はこの新舞子の海の何分の一を埋め立てたのだろうと考えたりしたものでした。ゴミは言うなれば人間の文明の一部で、我々はゴミを出さずには生活できません。ただ、恵まれすぎた日本の文化の中で、必要以上の「ゴミ」が深刻な環境問題を生み、そしてその対策の一環として、海が埋め立てられた訳ですから。豊かになる日々の暮らしの陰で海は次第にその姿を変えてきました。そういえば、林立するガスタンクや工場、火力発電所、あんなもの、子供の頃には無かったよなあ。名古屋を抜けるとすぐ、海が見えたよなあ・・・

女房の母が知多の出で、tokotokoも小さい頃から新舞子の海に慣れ親しんできました。もともとは東海地方の別荘地として栄えていたこの地、昔は砂浜で遊んでいるとカレイを踏んづけたそうです。今では地元の釣り人と話をしても、まず出てくるのは「昔はねえ・・・」という言葉。

3年ほど前から釣りを始め、以来この新舞子マリンパークにもよく釣行します。沖合のマリンパークから新舞子の海岸を見やると、それは奇しくも、昔ボードの上から眺めていた、見慣れた風景。しかし、目を転じると、マリンパーク南の常滑沖に無数のクレーンが駐留されているのが見える。現在、中部新国際空港というビッグプロジェクトが進行しており、知多の海は、今また大きく変貌しようとしているのです。私たちが子供に残してやれるのは、人工の巨大施設と、「あの海」で遊んだ思い出だけなのでしょうか。 

さて、先日、沿岸掃除隊の活動に、微力ながら家族そろって参加させていただきました。正直白状しますと、私にしてみれば今までの「罪滅ぼし」といった感もあったのですが、子供と共に、潮風にさらされた空き缶やペットボトル、仕掛けの残骸やタバコの吸い殻を拾っているうちに、それまで竿先にしか神経がいかなかったヘボ釣り師の視野がちょっと広くなったような気がしました。

調子に乗って、それからは子供に「取り敢えず自分の出来る事をまず実践する、それが、海を守っていく第一歩なんだ」などと偉そうに宣っています。 

2002/06/30
「わが家の釣り日記」

尾鷲漁港(天満突堤)にて 省吾さん

初めての場所で、動かない竿先を眺めながらタバコを吸っていると、地元のご老人(60歳ぐらい)がお散歩にみえました。 「こんにちは」と挨拶をすると「キスですか?釣れないでしょう」と優しげな顔で微笑みながら、こんな話を始めました。

『ここでは、もう20年ぐらい前から海が汚れ始め、だんだんとキスはあかんようになったんだよ。昔はそれこそ、目の前でも釣れよったのに、魚はよう知っとる。キスは特にきれいな所にしかおらんからね。 かれこれ10年ぐらい前、漁師さんの船に乗せてもらって海底に潜ったときは驚いたよ。ヘドロとゴミで 一杯やった。ここは山からの水が流れ込んで、きれいだと思うんだがあかんね。 それを見てから釣りもしんようになったし、漁港の魚も、とてもじゃないが食べる気がしないんじゃ。 発電所との関係なんかあるかもしれんが、ゴミは人間さまやな』

ざっと、このような要旨だったと記憶しています。自分には、発電所の問題等、難しいことはわかりません。ただ、「海にゴミを捨てない、汚さない」という当然のことを行いながら、これからも楽しい(釣れない!!)釣りと末永く付き合っていこうと思っています。

最後に、どなたかのお話にもあったと記憶していますが、『沿岸清掃隊』の一員としてゴミをひとつだけ拾ってくることを自分自身に約束しました。

2002/04/12

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皆さん。心のこもったコラムをありがとう♪
小さな心がけひとつ、個人の力は微々たるものですが、集結すれば大きなパワーになります。
ひとりひとりの釣り人が、明日のためにできること…「心は沿岸掃除隊」(^^)/