沿岸掃除隊

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学びの日々

福岡で「亀王国」というサイトを主催しているHNかめおさんは、とても愉快な釣り人間。根っからのバサーです。最近は海釣りも始めたと云うことで、私のサイトに遊びに来ていただいたのが、知り合うきっかけになりました。ところでこの「亀王国」には、水辺の環境を取り上げたとてもいいエッセイがあります。テーマは、外来淡水魚バスに在来種が駆逐されるつつある原因になっている、釣り人の放流問題です。当道場でも、ぜひ皆さんに紹介したいとお願いしたところ、快諾していただきました。軽妙な語り口ながらも、環境保全という葛藤を抱える我々釣り人にとっては、共感できる内容だと思います。以下ほぼ原文のまま。

「学びの日々」はじめに…
2000年9月17日日曜日。九州は福岡、博多駅前のホテル、コーヒーラウンジで会談。滋賀県立琵琶湖博物館主任学芸員:中井克樹さんを囲み、久留米のまっちゃん、私(かめお)の3人で現在のバス(ギル)と、それを取り巻く様々な問題について、徒然なるままに語り合う機会を得ました。大変有意義で、和やかな会談となりました。その時の感銘を受けた沢山の話を皆様へもお伝えしたいと思い、以下の様な拙い文章ではありますが、この様なページを作ってみました。

出会い

その日はとても風が強かった。ビルの間を台風並みの風が走り抜けていく。
「たっつぁん(爆・仮名)遅せぇなぁ」
そう、なんとたっつぁんは地理に不案内なため、ちょっとだけ遅刻したのだ!博物館の主任さんで、しかもバス・ギル問題の先端を走る方であると聞かされていた私は、正直言ってかなりビビッていた。待ち合わせのロビーに入る勇気もなく、ホテルの外で風に吹かれながらたっつぁんを待っていた。

「お待たせ〜」
横断歩道を渡りながら軽く片手をあげて合図をするたっつぁんは、ダブルのスーツに身を固め、頼もしくもあったのだが「もしや既に戦闘態勢か!?」と思わせるほどのイタにつきようで、私は危うく胸元のバッチの色を確認したりしてしまったのであった。一人でビクビクしていた私であったが、私のほんの目と鼻の先でたっつぁんと挨拶を交わす人が一人。両肩に重そうなバッグを下げ、金髪でこそないものの長い髪をした「オニイサン」。ちょとだけ小太りな感じがソフトな雰囲気を盛り上げているようだ。その容貌から「うあ、たっつぁんカメラマン手配しとぉ。どげんなるとかいな」新聞にでも出たらどうしようと、これは本気で考えた。実はその「オニイサン」こそが、本日のたっつぁんと私の先生となる「師・マスター(仮名)」その人であった。

私と師は、たっつぁんを先頭にして、挨拶もそこそこにホテルの中へと入っていく。コーヒーラウンジに腰を落ち着け、ようやく恒例の名刺交換。始めから及び腰で、のっけから雰囲気に飲まれてしまった私は「単なる趣味の人です」と情けない自己紹介をカマしつつ、名刺を差し出した。職業と本日のテーマの関連性は一切ない(自爆) それでも親切に「どの様なお仕事になるのですか?」などと、ビジネスマンである私も真っ青の初対面に相応しい話題を振って頂いたりしたので、それ以後恐縮しまくってしまったのだった。アイスコーヒーがそれぞれの前に置かれたところで、たっつぁんがボチボチと本題に切り込んでいく。こうしてこの記念すべき会談が始まったのであった。

「なんだ、この人もロビーに入れなかったんだ」自分と同じだとほっとすると同時に、ちょっと侮ったりしちゃったのですが、会談が始まるとまたまた恐縮しまくるのでありました。

師は語る。ボクは黙る。

私はバス釣りをする人でありますが、常々「今のこのバス(ギル)の生息状況はまずいだろう」と思っていた。密放流とは言いたくないが、筋を通さずに放流されている所ばかりであろうと思っている。また「バス釣りという行為は密放流という犯罪行為に荷担しているとも言える。」という考え方にも一理あると受け止めてきた。

一方、生態系の保全・生物多様性の維持という観点から見た場合、バス(ギル)は日本内水面の生態系にとっては大変な脅威である事は、その食性と強靭な生命力から間違いない事であろうとも考えていた。そういう意味では「バス(ギル)は害魚である」と考えている。
しかし、バス釣りを止めようと思った事はなかった。矛盾しているようだが、そう思っている。
何とかバス釣りの存続と在来種(特に希少種や固有種)の保護を両立できないものか、とまで思っている。友人知人や書籍、インターネットなどを通じて様々な情報を手に入れ、掲示板での熱い討論(ケンカともいう?)をROMしながら「黒か白か」じゃないと決着はつけられないものなのだろうか?様々な矛盾を孕みながらも、反バス・親バスの両面が自分自身の中にある事について悩んでいた。奇麗事ではなく、これはどちらも本気の思いであり、等価の重さを持って私の中にあるのだ。

師との会談が進行するにつれ、この様な私の重苦しい思いが、徐々に軽くなってくるように感じた。何か違うんじゃないかと思いながらモヤモヤしていたものが、なんとなくスッキリとして来たような気がした。しかし、別の意味で更に重く、高い壁を見上げる事になるのだが、これは後にならないと気づかない。師との会談の中で、私が特に印象深く感じたものを中心にして、ここにご披露したい。

師は語る。ボクは唸る。

いろんな場面で反バス対親バスの構図が見られ、ともすると感情に火が点き話にすらならなくなっているところを頻繁に目にする。そこのテーマが環境や生態系問題についてだったりすると、とても悲しい思いに囚われる。問題意識を同じくする者のはずなのに。立場や考え方の違いこそあれ、敵ではないはずなのに。

師は「過去の過ちは過ちとして認めるべき。しかし、時代背景や様々な要因を考慮すると『責任を取らせる』『罪を償わせる』事については必ずしも正しい事だとは考えない。「今」から過去を振り返ると「過ち」「罪」だと言えるが、その当時この様な判断ができたのかを考えると必ずしもそうではなかろう」とおっしゃる。また「環境問題、生物種多様性などが社会的に認知され、大きな動きとなってきたのはごく最近の事であり、今の価値観で過去を裁こうとする事に無理な面もある」「しかし、だからといって過去の過ちを放置していいわけではない。反省すべきは反省するところから始めないと、何も始まらない」つまり、過去の反省をキチンとして問題点をハッキリさせないと、現状を適切に把握・評価はできないし、現状の正しい認識がないのに、将来の方向性を検討するなど、それこそできっこない…と言う事だ。

アイスコーヒーを啜りながら語る師の言葉に、私は唸る。ううむ、深い。確かにそうだ。今までそんな事考えた事もなかった。バス釣りをなんとか続けたいとの思いが勝ちすぎると「言い逃れよう」とする姿勢になってしまうが、「言い逃れる」事はできないし、既にその必要すらなかったようである。私は素直に感動していた。そして師を畏敬の念をもって見つめていた。
その視線は師をさぞ怖がらせた事だろう。あまりに熱くて「こいつもしかしたら、アッチの気が…」などと思わせていたら、、、おっと脱線。

「誰が違法放流をしたんだ!責任取れ!」
「釣ってるだけで何でそんな事まで求められなきゃいけないんだ!?」
こういった発想からは、何も生まれてこないのかもしれない。『何が原因だったのか』冷静に見極めていかないと、バス(ギル)には未来はない。「其処に居る」だけで脅威となるのだから。バス(ギル)は、そもそもその性質が危険なのだから。

師は遥かに先を行っていた。しかし後からついて行く私にも丁寧に解説をくれる。その豊富な知識とフィールドワークに裏打ちされた話には、有無を言わせぬ説得力があった。

師は語る。僕は参る。

師はおっしゃる。
「人間の手を離れた時点で、もうコントロールは効かなくなってしまうのです。バス(ギル)はただ生きるために他の生物を食らうだけです。希少種や固有種だからと言っても彼らは間違いなく食らいます。容赦なく。それは彼らの性質です。そのような事まで考える事なく安易に至る所に放流してしまった事が、今のこの悲劇を生んでいるのです」

そう言う師の目は少し悲しげではあったものの、ひどく憤りをも含んだものであった。私は、師のバス・ギルさえ含む全ての生物に対する愛情を垣間見たような気がした。そして、全てを支配してしまいながら無知・無力な人間に対する叱咤の思いを感じたというと言い過ぎだろうか?

私もたっつぁんもバス釣り人だが、こんな僕らをどう思っているのだろうか?或いは「バス釣り」をどう考えているのだろうか?
「私は実習のためにエサ釣りはしますが、ルアーでの釣りはしません」
「ここまで広い層に支持され広がったバス釣りには、やはり独特の魅力があるのでしょうね」
断片的にその話の内容から察するに、ゲームフィッシングとしての面白さがある事に対しての理解もされているようである。但し、これもあくまでもこれだけの話。バス(ギル)の生態系への影響を考えると、釣って楽しいことと、居ても良い事とは別なのだ。この板挟み状態。葛藤の日々は続く…はぁ〜〜(ため息)

全体のバサー人口がどうなるかは置いておいても、これからもバス釣りを始める人はでてくるに違いない。私は師の話を聞きながら思う。彼らを責める事はできない。『楽しさの裏に問題になる部分がある』のを知らない事が既に問題なのだ。楽しさだけでバス釣りに誘われているだけの彼らは、昨日の私だ。願わくば、始める前にこの問題の存在に気づかせてやりたい。

師は語る。ボクは閃く。

「バス擁護論と言われる類の論理は全て既に破綻している」と師はきっぱりおっしゃった。
「その持ち合わせている性質と、密放流という身勝手な行為によって拡散した事実を認めずして擁護しようと言う事がそもそも無理なのです」
そうかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。様々なバス擁護を目にしてきた。いかにも尤もらしく聞こえながらも首をひねりたくなる部分があったり、微妙に逸らかしたように感じていたのもそのせいだったのだろう。そして何よりも、同じ轍を踏まないため、全てのバサー・釣り人、さらに一般市民までが現在のバス・ギルの生存状況に問題意識を持つ必要があるのだと思う。

私はズバリと聞いてみた。
「それでもバスを釣って行きたいと思うのですが、これは我が侭というかエゴでしかないのでしょうね?」
「そうです」あらら、あっさりしたもんだ。
「ただ、キチンとしたルールに乗っ取って行う分には問題ないのではないでしょうか」
そうか、ルールか。でも、そのルールってどんなルール?マナーの事?マナーは大切だけど、それだけで「問題ない」わけない事は私にも解る。

それから師はルールに関して語ってくれた。これこそが今日のポイントとなる事柄であろう。これからの話は反バス・親バスとか、なんとかバスを認めてもらうための方便はないかとか、目先のことに囚われがちな私にとって、その近視眼に感度良好の眼鏡を掛けられたようであった。釣り人、水辺に関わる人、地域、行政…バス(ギル)問題は、日本人あげて関わりのある事なのだろう。ちっぽけなこの事柄が、実はもっと大きな問題解決への糸口となる可能性すらあるのかもしれない。

師も悩む。ボクは恐れる。

日本の内水面は今までほとんど自由であった。バスが居着くような平野部の止水域や河川の下流域では、誰が何を釣っても良かった。漁師じゃなくても自分で食べる魚を捕る程度は許されていた。「無秩序」と言っていいくらいの自由であった。水産行政においても、様々な魚種が放流され、また移植されてきた。現在の価値基準から見ると、必ずしもいい事だとは言えないものもあった。それが、全てではないにしても、現在も続いている状態である。

ある水域に(外来・在来問わず)他所からの魚種を放流する場合「最悪の事態」を想定する必要がある。果たして「危機管理」に基づく慎重な姿勢を持って今までの放流は行われていたのか?その下地があったため「入れ得」「釣り得」の思想を背景にしてバス・ギルが広がった側面もあろう。このままこの状態を放置していてはバス(ギル)どころではない、もっと強力な魚種が入り込んでくる危険さえある。

この「無秩序」な内水面管理の現状を、「秩序」あるものに変えていく事がなによりも重要であろう。バス(ギル)の問題をキッカケとしながら、もっと広い意味で内水面の秩序創りをし、キチンとしたルールの元ですべての釣り人や水辺の利用者が楽しめる状態を創っていきたい。そうするに当たっては、受益者負担の原則から鑑み( 権利や自由には義務が伴うと考えても良い)釣りのライセンス制度や、水辺利用の許可制、清掃義務、管理の分担、レンジャーの組織化など、考えられる事はいろいろある。

この視点の高さはどうだ!自分は近視眼的捉え方をしていた事に気づくだけではなく、すっかり・あっさり認めさせられてしまった。バス(ギル)問題のはるか上を飛んでいる。自分の悩みがすっかりチンケなものに見えて来たから困ったもんだ。(そう、チンケに見えても相変わらず深刻な問題である事に変わりはないのだから、これも困ったもんだ)
「さて、ここから先なのですが…」
ちょっと間を置くようにして師の話は続く。

「日本人の美徳と自ら自負してきた「自然へのいたわり」とか「生き物を慈しむ心」として、マスコミでも「善意の放流」が美談として、今も語られ続けている。自然保護という観点から見ると、それが裏目にでるケースも、残念ながらある。職漁師から一般の人まで含め、 内水面利用者全てが納得し協力できるようなルールにするための着地点が見えない。最終的には法的措置も含めて、行政に頼る事になるのだろう。しかしその前に、様々な立場の様々な人の様々な意見をできるだけたくさん聞いておきたい。反対・賛成を問わずあらゆる意見を吸い上げたい。バス(ギル)問題に関するBBSなどは、そういう意味で大変興味深い」

師の視点は高く、将来を見据えている。しかしその高みから全体を見ようとする意思を感じる。それは高みから見下ろすのではなく、目を皿の様にして、耳をダンボの様にして、市井の一人一人までしっかり把握しようと指向する姿勢を現しているようである。

3人ともアイスコーヒーをお替わりしていた。その間2人はトイレに立ったが、私は立たなかった。席に残っている間に考えた。最終的には行政。法的措置も含む。それまで待つのか?バスを釣りたい者は、待っていてはいけないのではないか?寝て待っても果報は来ないのではないか?自ら「秩序」を志向し、作り上げていく姿勢を持たないと、最悪の結果すら見え隠れする。そう感じるのは私だけだろうか。

四方山話に花が咲く

師の帰りの時刻まではまだ間がある。せっかくの機会でもあり、名残も惜しい。土地の美味いものでも食べて欲しくて居酒屋へ入る。しかし、そこはどこの土地にでもあるような居酒屋であった。あちゃぁ、大失敗(^^; 辛うじてゴーヤのスライスと焼酎が南国の面目を保ってくれた。杯を重ねるうちにお互い口が滑らかになる。図々しくも旧年来の友人のように馴れ馴れしく、四方山話に花が咲いた。

「バス(ギル)問題も深刻ですが、アサリ・シジミも大変なんですよ」
師の突然の言葉に、口に入れたゴーヤスライスを半分垂らしたまま「?」な顔で先を促した。「旬じゃない時期を補ったり、潮干狩り用として輸入物が生きたまま入ってきてます。それが繁殖して、在来種を駆逐しないとも限らない状況です。これも早急に対策を立てなければならない状態です」アサリバターなど注文しておかなくて良かった、などとくだらない事を思いながら、 一般的に知られてないが、実は重大な問題ってのがいろいろあるんだろうなぁと改めて思う。魚と密接な関係がある「水草」も、外来種が多数みられるようになっているそうだ。これも外来種繁殖の手助けをしているのかもしれない。案外これも確信犯がいたりするかも、、、などと考えると空恐ろしい。

師の地元、琵琶湖の様子を聞くと、一時期よりも、自然を回復させるための対策がやっと本格化し始めたらしい。外来魚の駆除もその中の一環である。湖底のヘドロを除去したところでは、二枚貝が増えて来たとの事。同じ採取でも、砂利採取ほど大規模ではなく、まだまだ規模は小さい。しかし、このようなことが大規模に行われれば、貝を産卵に利用する魚にとってはずいぶんと環境改善になる事だろう。葦の移植はなかなかうまくいかないらしい。護岸工事などで遠浅の底を持つ岸が減っており、葦に適した場所が少ない。その少ない場所を探しては移植をしているが、なかなか根づいてくれないとの事。これも回復してくれば、産卵場所や、外敵からの避難場所、巣として、減少種の回復を後押ししてくれる事となるだろう。バス・ギル問題の着地点を探る事と平行して、これら在来種・減少種の復活を後押しする事柄に関しても、同時進行させなければならない。

酔いも手伝い、師に向かい私は言った。
「私はバス釣りを続けたい。それを理由にこの問題についての自分なりの考察と、必要があればバス・ギルの駆除もやります。「駆除」なんて偽善に聞こえるかもしれませんが、でも本心です。少なくともさっさと竿を置く事はしません。それはいつでもできるから。竿を置き水辺から去ってしまう事は、最も簡単な逃避行為だと思います。バス釣りを始めたのも何かの縁があったって事でしょう。行く末がどうなるかは解りません。大きな事もできませんが、私一人でできることは、続けていこうと思います。とにかくもう少し粘ってみたいと思います」
その時の師の表情を、私は見ていない。

師の帰る時間が近づいて来た。時間までにお土産を購入するらしい。
「明太子は○○やが美味しいですよ。」などと、余計なお世話をしながらお別れをした。
またお会いしましょう。ありがとうございました。

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Special Thanks!  04.28.2002